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​緒川郷

はじまり

今から7000年の昔、すでにこの地には人々が居住しており、緒川地区の氏神である入海神社の境内には、入海貝塚が残っています。

原始的な神々を祀る

むかしの人は、山や海の恵みを間近に感じながら生活していました。

水は山から流れてきます。木の実は山で採ります。獣も山で採ります。その偉大な山の恩恵は、山の神様のおかげだと考えていました。緒川にはいくつもの山の神がありました。

海はたくさんの物を運びました。魚、貝などの食料の他に、嵐がくるのも、敵が来るのもまた海でした。その偉大な海の恩恵は、海の神様のおかげだと考えました。海もまた、大切に祀ったのです。氏神の少し南にある小さな社もその一つです。

神話の世界から、入海神社へ

まだ日本が多くの国に分かれていたころ、大和の国の豪族で弟橘姫(おとたちばなひめ)の父である穂積氏が進駐し、本地区を拠点に東国征伐をにらんでいました。大和の国の景行天皇から、東の国の征伐(東征)を命じられた日本武尊(やまとたけるのみこと)は、当時、東に勢力を拡大した尾張地区の豪族に協力を求めました。緒川からは穂積氏の娘、弟橘姫(おとたちばなひめ)が共に東征にゆくこととなりました。道中、相模のあたり(今の神奈川県)では海が荒れ、どうしても進めない事態となりました。姫はそこで海に身を投げ、海の神を静めたのでした。

その弟橘姫(おとたちばなひめ)の櫛(くし)が、はるばる緒川に流れついたそうです。人々はそれを祀る事にしました。これが入海神社の始まりです。

いつしか

いつの日か、山の神の下の方を切り開いた場所を下切とよび、また、入海神社の神様の周りに生活を営む地区を、神市場と呼ぶようになったのです。

戦国のニュータウン

時は流れ、小川氏が支配した時代を経て、その流れを汲む水野氏が活躍しました。戦国の武将の多くは神仏を大切にし、水野氏は入海神社を保護し、立派な社を建てて、菩提寺に宇宙山乾坤院を建立しました。また、入海神社とは別に、全国的な武家の間の流行であった八幡宮を、現在の緒川小学校のある丘の上にお祀りしました。八幡宮ができたことで、その参道が整備され、やがて新しい町ができました。これが新町のはじまりです。

このように、小さな集落ではありますが、かなり歴史ある地区であります。

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神市場

入海神社の周りの神市場。

新町.JPEG

新町

​八幡宮を中心に広がった戦国のニュータウン。

202203_下切地区の屋形.JPEG

下切

​山の神の下に広がった歴史地区。城跡やかきがら地蔵堂、沢瀉の井戸など、遺跡がたくさんある。

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